ローテクをバカにしちゃいけませんぜ。


ローテクというと、ハイテクの対義語で、古臭い、生産性が低くあまり役に立たない技術、

というのが一般的な見方かもしれないが、しかしローテクをバカにしちゃいけない。

 

よくよく考えると、

ローテクもそれが登場した時は「ハイテク」だったものが、

世の中で重宝され長い間使用されてきて「ローテク」といわれるようになった、

という認識が正しいだろう。

私たちが日常何気に使っている「技術」のほとんどがローテクなのである。

つまりローテクは人類のある意味生命線=宝なのではないだろうか。

 

例えば、生命の維持に一番根幹的にかかわる農業を「技術」という面で見てみると、

田畑を耕し、種をまき、水をやり、肥料を施し、生育させ、収穫するという

一連の作業はローテクの典型(最近はドローンを使った肥料の散布等の

ハイテクも使われているが)だが、そこには気象を読んだり、土壌をチェックしたり、

生育状況を観察したり、収穫時期を判断したりという人間の「智恵」が生まれ、

それぞれの作業に必要な道具や肥料が開発され、

生育方法の改良が進められ、沢山の知見が蓄えられていった。

※一部『ウィキペディア(Wikipedia)』参考

同じようなローテク事例は、漁業や林業といった一次産業から製造、販売、

サービス、教育、行政等々今現在私たちが営んでいる日常生活全般に及んでいる。

 

私たちの先祖たちが創意工夫して開発し磨いてきた有用な技術は

現在では「ローテク」とさえいわれることもなく、

主張もせずあたりまえにコツコツと働いている。

もちろん、ハイテクの登場で廃れていったローテクもあるだろう。

つまり今生き残っているローテクは、

私たちの暮らしに欠かせないベーシックだが実はとても重要なテクノロジーというわけだ。

 

一部若しくは全部このローテクがハイテクにとってかわる時代が来たとしても、

ローテクの「智恵」が継承されていれば、

そのハイテクは年月とともに新しい洗練された(?!)ローテクとしてまた生き残っていくだろう。

しかし、マネーゲームのような「ハイテク」は「仏作って魂入れず」の

ことわざのように、それは別の「技術」になってしまいかねない。

同じことやっても、「なんか違うね」という具合だ。AIしかり、ロボットしかり。

 

もしそれを吟味することなく甘んじて受け入れてしまえば、

私たち人間も気が付いたら「なんちゃってハイテク仕様」の

「なんちゃって人間」になってしまうかもしれない。

 

日常的に使う「技術・サービス」によって、

望むと望まざるにかかわらず、世の中(人間)は変質していくとしたら、

おー怖!と「ローテク仕様」のおじさんの心配は尽きないのである。。